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【代表挨拶】私が営業の道を捨て、畑違いのiOSエンジニアとして再起を誓った日

はじめまして。代表のさわです。

この場をお借りして、私が全くの異業種である営業の世界から、なぜモバイルアプリ開発エンジニアという道を選んだのか、その正直な理由をお話しさせてください。それは、決して華々しいキャリアチェンジなどではなく、どん底からの再起をかけた、必死の選択でした。

足元が崩れ落ちた日。営業として生きる道を失った絶望

「もう、自分は社会で通用しないのではないか」

営業としてキャリアを積んでいた私に、突如としてそんな絶望が襲いかかりました。原因は、私の犯した大きな、あまりにも大きな失敗です。詳細は伏せさせていただきますが、それは到底許されるものではなく、私は信頼も、キャリアも、そして営業としての自信も、すべてを失いました。

目の前は真っ暗。社会という巨大な歯車から、自分だけが弾き出されてしまったような感覚。明日からどうやって生きていけばいいのか、その答えを見つけられないまま、ただ時間だけが過ぎていきました。

どん底で見た一筋の光。ECサイトが教えてくれた可能性

それでも、以前勤めていた健康食品会社での経験が、ふと頭をよぎりました。
当時、私たちが手塩にかけて開発した商品を、ECサイトを通じて全国のお客様に届けていました。そこでは、営業マンが一件一件訪問しなくても、たった一つのWebサイトが、24時間365日、休むことなく価値を届け、お客様の喜びの声を生み出していたのです。

「これだ…!」

画面の向こう側に広がる、無限の可能性。物理的な制約を超え、人と人とを繋ぎ、ビジネスを動かすデジタルの力。そのすごさに、私は今更ながら気づかされたのです。この世界のことをもっと知りたい。この力を自分の手で扱えるようになりたい。それは、暗闇の中で見つけた、本当に小さな、しかし確かな光でした。

選んだのは「いばらの道」。Web制作からiOSエンジニアへ

「もう一度、社会の歯車として輝きたい」

その一心で、私はPCにかじりつき、Webサイト制作の学習を始めました。もともと子供の頃から物作りが好きでしたが、手先は不器用、機械いじりは苦手だったんです。なので、「今から有形のモノを作ることは難しい。でも、PCとこの指先があれば、何かを生み出せるかもしれない」。そんな淡い期待を抱いてのスタートでした。

しかし、現実は甘くありません。
Web制作の世界は、すでに多くの才能あるプレイヤーで溢れていました。この世界で勝ち抜くには、自分には何かが足りない。そう感じ始めた矢先、偶然立ち寄った書店で、一冊の技術書が目に留まります。

それが「Swift」というプログラミング言語の書籍でした。

当時の日本におけるスマートフォンのOSシェアは、iOSが圧倒的多数を占めていました。自分がもしアプリを作れたなら、それは多くの人の手に渡り、日常に溶け込んでいく可能性がある。そして、Webエンジニアに比べて、まだiOS専門のエンジニアの数は少ない。

「これなら、勝負できるかもしれない」

運命的な出会いでした。洗練されたApple製品の上で動く、美しく、直感的なアプリケーション。自分が作りたいのは、これだ。そう確信し、私はWeb制作の道ではなく、より険しいiOSエンジニアとしての道を進むことを決意したのです。

コロナ禍が与えてくれた覚悟

時を同じくして、世界はコロナウイルスの猛威に包まれました。社会全体が先行きの見えない不安に覆われる中、私の決意は逆に固まっていきました。

「このスキルさえ身につければ、たとえ世界がどう変わろうとも、自宅の一室からでも社会と繋がり、価値を提供し続けられる」

それは、社会から一度は断絶された私にとって、何よりの希望でした。来る日も来る日も、エラーと格闘し、英語のドキュメントを読み漁り、眠れない夜を幾度となく過ごしました。それは、単なるスキルアップのためではありません。社会で再び自分の居場所を確立するための、生き残りをかけた闘いでした。

最後に

私がエンジニアの道を志したのは、社会人として、一人の人間として、もう一度立ち上がるためでした。コードの一行一行は、社会と自分を繋ぎ直すための鎖であり、未来を築くための設計図です。

あの日の絶望があったからこそ、今の私があります。どん底から這い上がる力を与えてくれた、ITの世界への感謝と情熱を胸に、これからもお客様の課題解決に、そして社会への貢献に、全身全霊で取り組んでまいります。